孤独なスタンダップコメディアン

第五話:剥がされた覆面(最終回)

楽屋の裏口から外に出て、煙草に火をつけると、日下部は、幸代と暮らしていた頃のことを思い出していた。あの頃は貧しかったが、今よりも幸せだったような気がする。そう考えながら、口から軽く出した煙草の煙を、鼻から吸い上げて、「これが私の鯉の滝登りです」。と言って、周りを見渡したが、誰もいなかった。そして、もう一回、「これが僕ちゃんの鯉の滝登りだ」と思いっきり鼻で煙を吸い込んでいると、誰か男の声がした。

「日下部さん。あなたが魂を売り渡した悪魔は我々が拘束した。だが、悪魔って奴等はどんどん繁殖していく習性がありましてね。もし、あなたが悪魔を裏切ったら、何時か必ずあなたの命を狙いに来るでしょう。あなたが悪魔と交わした会話は全てこちらで入手しています。我々はあなたの命をお護りする用意があります。我々に協力して頂けませんか?」

「フッー」日下部は溜息をついた後、
「私に何をしろと?」

「日下部 剛さんには死んだことにして頂いて、新たなコメディアンとして、あなたには、我々のメッセージを、我々に代わって、発信して頂きたいのです。それが我々があなたの命を救う唯一の方法です。我々のやり方に従って頂けますか?」

「・・・・」

「世の中には、聞かなきゃ良かった、見なきゃ良かったって後悔すること、誰にでもあるよね?何も知らない方が平凡でも楽しく暮らせたのにって、ある政治家も以前、こう言っていた。『何も知らないほうが幸せっていうこともあります』ってね。君達の知りたいことは何かな?」

その時、突然スタジオの照明とエアコンが止まった。「停電です。計画停電ではありませんが・・・」
スタジオの温度は三十度をゆうに超えていただろうか。ミスターライアーの首元から汗が滴り落ちた。その時点でのミスターライアーの覆面の中の温度は何度だったか?は、誰にも分からなかったが、おそらく、タックスパラダイス、ドバイの年中雨が降らない気候に近かったと思われる。我慢の限界をとっくに超えた、ミスターライアーは、「やってられるかーい、かーい、かーい」(エコーの響き)と言って、テレビの生放送中に覆面を取って、投げ捨てた。それも遠く遥か彼方に。暫らくして、スタジオの停電は復旧された。その時、テレビの画面に現れた顔は、忘れかけていた孤独のスタンダップコメディアン、日下部 剛その人だった。日下部は、一人、スタジオでスポットライトを浴びながら、ズボンからはみ出したシャツが気持ち悪かったのだろうか、ズボンのベルトとボタンをはずし、チャックを下ろしてから、ズボンからはみ出したシャツをキレイに戻した後、ズボンからシャツがはみ出さないように、細心の注意を払い、上手く腰を使いながら、ズボンを履いた。その後、スタジオの証明が消えた。

楽屋の鏡の前で、日下部は、「これで全て終わったな」と呟いて、楽屋の裏口からそっと人目を盗んで出ていこうとした時、
「剛ちゃん」と幸代の声がした。

「さっちゃん」

「剛ちゃん、生きてたん」と、真っ黒な口紅をした、幸代が立っていた。

「あぁ」幸代は涙を浮かべながら、日下部に抱きついて、こう言った。

「たこ焼き買うてきたんやけど、食べへん」日下部は、幸代に心配かけたと言う思いで、すまなさそうに、こい言った。

「後でチンして食べるから、一個だけ置いとって・・・」

とりあえず、終わり。

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