地下の世界から出てきた男/第三話
第三話:過去の記憶を取り戻す
私はまだ過去の世界に居るのだろうか・・・・
最近、よく見る夢は・・・
何度も道を間違えて、何時迄も目的地に辿り着けない。嫌な夢。朝、目が覚めて、私は考えた。取り戻すべき過去の記憶とは何なのか?
キッチンで水を一杯飲んでから、「ちょっと散歩してくるから」っと言って、玄関で靴を履いていると、うちのワンちゃんが、淋しそうな声で鳴いている。「ついて来るか?」喜んで尻尾を振って付いて来た。今日は、久し振りにワンちゃんを連れて散歩に出掛けよう。私は家から駅に向かって歩いていった。いつものタバコ屋の看板が見えてきた。タバコ屋の前を通り過ぎようとした時、あのお婆さんの声が聞こえた。
「過去の記憶を取り戻しましたか?」
「あっいや。それについては未だ・・」
「貴方を待っている人がいますよ」
「待っている人?」
「何か思い当たりませんか?」
「あっいや。今のところ・・」
「過去の楽しい思い出のある場所に行ってみるのはどうです?何か見つかるかも知れませんよ」
「過去の楽しい思い出・・」
いつもの公園の中に入って行くと、誰かの歌声が聴こえてきた。綺麗な声だ。その声は突然、止んで辺りはしーんと静まりかえってしまった。
初めて聴いた・・けれど何故か懐かしい感じがした。
公園の中をゆっくりと歩いた。自然と対話をしながら・・
「お久しぶりですね」
「えぇ」
「お待ちしていましたよ」
「ここへ来ると気が休まります」
「そうですか。それで何か見つかりましたか?」
「いえ。未だ何も・・」
「森の中で歌声を聴きましたか?」
「それなら、聴こえました」
「それは良かったです」
「その歌声は、私を安穏の地へ連れて行ってくれるのでしょうか?」
「先ずは、貴方の安穏の地の扉をノックしてみて下さい」
「あっはい・・・」そして、30分程、公園を散歩した後、
「そろそろ家に帰ろうか?」とワンちゃんに言って、ポツポツと歩いて行った。
「ドンドン!ドンドン!」私は心の中で安穏の地の扉をノックした。扉は開かない。誰も返事をしてくれない。
「何故だ?何故私はここに居るんだ?」
「焦らないで下さい」
「後どの位時間がかかるのですか?」
「もうすぐです」
「もうすぐ?」
「焦らなくても大丈夫です」
「大丈夫?」
「大丈夫です。」
「扉は開けられなかったが、何故ですか?」
「その扉には鍵が掛かっているからですよ」
「鍵は誰が持っているのですか?」
「もうすぐに扉の鍵を持って貴方の前に現れる人がいます。見逃さないで下さい」
「・・・・」
私とワンちゃんは、公園を出て家路へと向かっていった。
未来の扉の鍵を持っているのは誰だ・・・
私はこれから何をすれば良いのだろうか?
その時、ワンちゃんが何時もの帰り道ではない、細い路地に行こうと私を引っ張って行った。
「何処行くの?」クンクンと臭いを嗅ぎながら路地の先へと私を引っ張って行った。
しばらくすると、さっき公園で聴いた歌声が聴こえてきた。そこで一人の少年がギターを弾いていた。
「この曲を覚えていますか?」とその少年は私に訊ねた。
「いや・・何故?」
その少年は、目を閉じてギターを爪弾きながら、何やら独り言を言っていた。
「いつもここでギターを?」と私が尋ねると、その少年は、
「昔からずっとここに居ます」
「あっそう。ここは君の居場所なの?」
「ここは僕の過去の世界です」
「君は過去の世界に居るのか?」
「はい」
「現代の君もギターを?」
「いいえ」
「何故?」
「現代の僕は過去の記憶を忘れてしまったから・・」
「過去の記憶を忘れた・・」
「はい」
「過去の記憶は取り戻せないの?」
「分かりません」
「だから、そこでギターを・・」
「はい」
「なるほど・・・」
私は家に帰る途中、ずっと考えていた。過去の記憶を取り戻して、私の成すべきことは何か?という事について。時計の針は、十二時を指していた。私とワンちゃんは横断歩道で信号が青に変わるのを待った。
その時、新たなアイディアが天から降ってきた様な気がした。”これだ” 私の胸の鼓動はざわざわと騒ぎ出した。
だが次の瞬間、それは私にとって、難易度の高い人生のレシピのように感じた。
つづく。